- はじめに
- 鉄壁の防御 内堀と高い石垣
- いよいよ西出丸へ
- 北出丸に合流
- 別ルート 西出丸駐車場側から
- 最後の関門 帯郭(おびくるわ)
- 帯郭①・鐘撞堂(かねつきどう)
- 帯郭②・上杉謙信公 仮廟所
- 最後の砦・鉄門(くろがねもん)
- 鉄門をくぐると...!&石垣に残されたおまじない
- おわりに
はじめに
こんばんは。今回は福島県会津若松市にある鶴ヶ城の徹底攻略シリーズ3回目です。
道の向かいに藩校日新館跡、少し先に大河ドラマにもなった「八重の桜」新島八重の生誕地がある、西出丸側からのルートを攻略していこうと思います..!
はたして西出丸側にはどんな仕掛けがあるのでしょうか。
鉄壁の防御 内堀と高い石垣
鶴ヶ城西出丸は加藤時代の大改修の際に整備されました。
堀に囲まれ、さらに高い石垣に囲まれているのでこちらも侵入が容易ではなさそうです。
いよいよ西出丸へ
西出丸は駐車場になっているので、こちらから入る場合は車に注意。
写真2枚目、堀沿いの細い道を入っていきます。
しばらく歩くと右手に駐車場に向かう道と分かれます。
今回は徒歩なのでまっすぐ行きます。
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どんどん歩くと、なにやら建物が見えてきました。
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北出丸に合流
なんだ、西出丸入り口から意外と距離短くない?と思ったのもつかの間、これから先は前に紹介した「北出丸」(通称皆殺し丸)に合流するんです。
よりによって皆殺し丸に合流してしまうとは侵入は絶望的。やはり鉄壁です...!
北出丸の恐ろしさ&ここから先の北出丸ルートはこちらで↓
別ルート 西出丸駐車場側から
駐車場からはまず、「梅坂」を登ります。
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坂を上り終え、ふと左手石垣の上を見上げると、木造の謎の建物が見えます。
最後の関門 帯郭(おびくるわ)
先ほどの場所を抜けると、生い茂る木々の先に鶴ヶ城が見えてきました..!
よっしゃ、もうすぐ城にたどり着くぞ!と思ったのもつかの間、ここは残念なことに本丸とは繋がっていない「帯郭(おびくるわ)」という場所なんです。
帯郭①・鐘撞堂(かねつきどう)
先ほど道中の石垣の上に覗いていた建物は「鐘撞堂(かねつきどう)」です。
鐘は1747年に地元の鋳物師によって鋳造されたもの。
江戸時代には2時間(一刻)毎に江戸流の撞き方で鐘を鳴らし、城下町に時間を知らせていたようです。
戊辰戦争時にも、鐘を撞く人が銃弾に倒れた時は代わりの人(武士など)が欠かさずに鳴らしつづけたとか。(すごい..!)
帯郭②・上杉謙信公 仮廟所
帯郭のみどころ、その2は上杉謙信公の(おそらく)仮廟所だったところ。
おそらくというのは、上杉景勝公が会津に入封するとき謙信公の墓所もこちらに移されることになり、その際「鶴ヶ城の西南の隅の仮殿に安置」したとの記述が残っていることからこの地がその場所と推測されたようです。(図1 看板より)
廟所の横というか奥には笠間稲荷神社があります。
御廟跡は春の桜がとても綺麗なんですよ✨
会津の藩主の入れ替わりがわかりやすい看板、上記上杉公は蒲生公の後↓
最後の砦・鉄門(くろがねもん)
帯廓から本丸に入るための賢固な表門。
鉄門は字のごとく柱や扉が全て鉄で覆われています。
この門も加藤公の大改修により造られました。
戊辰戦争の際は賢固なこの門の前で松平容保公が指揮をとったようです。
鉄門をくぐると...!&石垣に残されたおまじない
賢固な門を抜けると、天守からつながる南走り長屋が見えてきました。
ここは天守に入場した際に内部を見学することができ、南走り長屋再建のようすがパネルで紹介されていたり、敵を迎え撃つ狭間(さま)があったりと勉強にもなり楽しめます。
ちなみに鉄門の石垣は「切り込みハギ」という、石の形がまっすぐ綺麗に整えられた工法です。ここに昔の人が残した「ハート岩」があるので是非探してみてください。
なにかのおまじないなのかなんなのか、殺伐とした時代にもユーモアあふれる方がいたんですね。
おわりに
本丸敷地内に到着したので今回はここまで。おつかれさまでした...!
今回は西出丸~帯廓ルート~鉄門をまわりました。
鐘撞堂でのエピソードには会津藩士のまじめな人柄が現れていて、改めてすごいなぁと感じました。
次回はいよいよ見どころいっぱいな本丸~櫓(やぐら)までをまわっていきます...!
今日はありがとなぁ。また来てなぁ~!
二ノ丸ルートはこちら↓
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荒城の月と青葉城&鶴ヶ城↓
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